ぐでぐで草 -ぐでぐでっといろいろ書いてます- 2009年05月

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歌は世に連れ

世は歌に連れ。

まぁあんまり意味はないです。
仕事帰り、車中の人となりつつアニソンとか聴きながらふと考えたんですが
「現代に於いて恋の歌以外の詞、特に戦いの歌を伝えているのってこういうアニソン・ゲーソン・特ソンではなかろーか」
ということ。
以降妄想
  ↓
WWⅡ敗戦以降日本は戦争アレルギーを患い現の戦に過剰なまでの拒否反応を示すようになり、戦にまつわるものを全て排斥してきた(させられてきた)
その中で所謂軍歌や戦場で歌う歌も廃れ、希望や愛というポジティブ側の歌がもてはやされるようになったのではないかなーとか。
無論それが悪い訳ではないと思います。事実時勢が平和と安定を求めたという側面もあったんでしょう。
しかし人間聖人君子にも闇たる部分はあるわけで、今の状態は思考停止というか放棄というか暗黒面を否定しすぎているんじゃないかなーと。
話逸れましたが現実の世界に於いて闘争に身を置く事が無く、それを求めようにも嫌悪されている状態では虚構の世界の戦いが発展し、吟遊詩人の謡う英雄物語などと混ざりつつ保存されていったのではなかろうか。
とかとか。
それが存在できる世界が虚構のみなら虚構に付随して埋もれながらも残ったシーラカンスのような存在。
ただ、そんなシーラカンスも萌え産業の荒波に飲まれたのか、戦いを繰り広げる作品でありながら恋愛劇もやるというハイブリット作品が増えたからなのか、次第に数を減らしているようにも感じます。
民衆は戦を求めていないのか、飼い慣らされてしまったのか。
戦いは愚かではあるでしょうが完全に無視して良い物でもないのが世の常。
正しい知識を口頭で伝えられる期間は人間の寿命と同じである、と考えるといかな情報の伝達技術が発展しても、一定周期で歴史は繰り返すと事となるのではないでしょうか。
無論寿命の増加や緩やかな伝達で人という種自体も発展していくでしょうが人が完全な生き物になるまで果たしてこの星は保つのか、またそこまで付き合ってくれるのか。
ニュータイプみたいな人ばっかりなら世界も平和なのでしょうか。
まぁ、奴ら総じて不幸体質ですが。

とまぁそんな感じでネタ半分バカ半分で考えたりしていた訳です。

久しぶりに意味の分からん妄想を垂れ流せて満足(何
やる夫フューラーやら徳川やら読み始めるとおもしろくて止まらないんですがその辺もこういう思考の元凶か?と分析したりしなかったり。
しかし現実において全く実にならず、影響も及ぼさない思考思索ってのはやっぱ楽しいなと思ったり。
まぁそんなこんなでまたー。
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